【映画ログ】サルトルとボーヴォワール 哲学と愛
古典フランス映画情緒満載の映画でした〜♡
重めの色彩と、空気で感じさせるわかりづらいストーリー構成(笑)
近代実在したふたりなのに、それを感じさせない雰囲気は、フランス映画独特の音楽と言葉も『感じさせる』映画でした〜✨
サルトルは近代哲学の象徴と呼ばれる人なんだけど、実はわたしあんまり興味無い。
私の興味の対象はもちろん【シモーヌ・ド・ボーヴォワール】。
ウチの末娘が「ママみたいな人」と教えてくれた時から興味があったけど、代表作【第二の性】にはあんまり興味が持てなかったのよね。
でもボーヴォワールの人生や、サルトルとの関係における心の動きには興味があったの。
この第二次世界大戦中にあるヴィシー政権の時代を背景に、女性がここまで立つって相当だったんじゃないかなぁ。
時代的には映画『タイピスト』と同時期だから、女性はとても立場も弱く、頭も悪いとされてた頃。
いや、頭が悪いのはいまも私はそうだけどーうるせーなー笑
キャスト
映画のシモーヌ役がまた聡明で美しい。
サルトルは強い斜視だったのに、さすがにそこは表現してなかったな樂(それは再現難しいw
ほんとに小柄だったのかな?🤔
サルトルのことはまあいいや(どんだけ興味ないねんw笑)
でも、モテモテって情報は得てたけど、映画の中だけ見てるとモテてた理由がわからないな🤔
家族と呼ばれてたモネやほかの生徒達は可愛かった🤔
映画の焦点
焦点はやっぱりロマンスだったね!
でも、結構悲恋というか、空虚を伴うロマンスのイメージだったのに、案外空虚感が想像以上に薄かったかな。
私の中ではもっと深いと思ってたんだけど…フランス映画だからもう一度見ると違うのかも。
自由恋愛と真実のみ語る。そして性を超えた愛
このルールがたぶん私と同一視された…んですか?娘よ…
娘はどこまでママを知っているんだ…w
自由恋愛は私とは違う。
これはサルトルにとって都合が良かったというだけだと思う。
ボーヴォワールも違和感を感じていたように、満たされる関係ではないと思う。
ただの契約。
現代においては、その契約自体時代背景からみて必要ないように思う。
でも、家族はチームであり、共同体であり、いつもどんな時も真の味方であることは私にも共通するかな。
サルトルはそういう家族が欲しかったんじゃないかな。
拘束じみた束縛もない、裏切りもない。
本当は、傷つけあうこともない関係性がほしかったから、ボーヴォワールに自由恋愛の契約の話をしたのかもしれないかな。
嘘をつかず、すべての自己の経験だけでなく、人の経験までも自分の知識にしたかったんじゃないかな。
それはとても満たされるような気がする
だけど、ボーヴォワールはそうじゃないように見える。
自分と戦い、社会と戦い、サルトルとの関係にすら戦っていたように見える。
性の固定概念や、慣習の固定概念は嫌悪してたのに、年齢の固定概念はなぜ取っ払えなかったんだろうと思ったけど、そこまでは固定概念を意識することはできなかった。
それは時代なのかもしれないし、寿命、結核やペスト、スペイン風邪もこの頃だと思ったから流行り病も背景にあったと思う。
あと、大学の教授になると早いね〜ってのは率直に思った。大人になるのが早い時代背景にあるのかもしれないね。
でも、順々に取っ払われてるわね。
1960年代でツイッギーがミニスカートを世界的に流行らせて、足を出すスカートを流行させたし、同時期にウーマンリブが起きてる。
日本ではジワジワと1800年代からあったみたいだけど、ジワジワ過ぎて全然ダメ=3
結局女性軽視はいまも根強い気がするし、それはそれで男性の可愛いところな気もしちゃうから笑っちゃう(笑)
まああんまりそこは興味ないけど(無いんかーいw
でも、自由恋愛だけは宗教上の理由や、政治的な理由もあるからgeneralになるにはなかなかむずかしいかもね。
人はまず、独占欲がある。
愛でもなんでもなくても、独占欲は人間の本能的な欲だから、そこはどんな関係でも関係なく、避けることはできない。
独占したいと思う気持ちと、独占されたいと思う気持ちは、その人に対する執着もあるが、やっぱり特別な人には変わりない。
ただそれは、永続的ではないということだと思う。
人は生きて、時間を過ごすだけでいろんな影響を受け、成長したり退化したり、変化していく。
その中で永続的に同じ気持ちを保つことは当然ながら不可能だ。
同じ物事人を相手にしても、何度もエクスポーションさせることにより、常に新しいものを求めれ変化させることでしか、関係を続けることはできない。
それは互いの認識と努力も必要で、どちらが欠けても為し得ない。
だから、新しい未知のものに惹かれてしまう。
人である限り、いま以上の成長を求めれば当然のこと。
本能に抗うことは、いま一番の社会問題であるストレスの原因だと思う。
イヤなことはせんでよし!
不要だと思うなら捨てる!
間違ってもいい。必要と思うものだけをかき集め、そこからなにかを作る。
そうしてできたものは唯一無二のものだ。
固定概念
みんな固定概念好きよねー🤔
安心するのか、疑問に思わないのか。
ロジカルでもなければ、古典でもない、真理でもないものでも、そこに意味も持たずこだわる。
無駄に自分を作ってみせても、見せたいはずの周りはみんなあなたの醜い部分に気付いてるのに。
本当は気付いてるでしょう?と問いたい。
人はみんな醜いからこそ、理想の自分に近づこうとするものだと思う♡
見てくれだけの人もいるし、見えない部分を作ろうとしてる人もいる。
それもこれも、人はみんな醜いからだと思う。
だからこそ、美しいんじゃないかな。
初めから立って喋る赤ちゃんはいない。無学で医者になれる人はいない。
何度間違えても、何度も立ち上がり、何度も挑戦する。その足掻く姿が人間の魅力じゃないかな。
オリンピックに見るように、努力する人は美しい。
せいぜい足腰が元気なうちに足掻きましょ!
それでも
現代に於いては、固定概念だいぶ取っ払われてる気がする。
私のiPhoneの待ち受けは、82歳の最高齢のモデル・憧れのカルメンだしね♡
に、しても…
ローラの出番が少な過ぎないか?🤔
ボーヴォワールにとっては、ローラが人生に於ける最大のキーマンなんだと思うんだけどなぁ😂
【第二の性】では結構ローラが大きくクローアップされてたような記憶があるんだけど…違ったかな?
結論
この映画を見て、この監督が抜粋したふたりの物語は、
フランス映画だな
という斜めな感想かな(笑)
ちなみに、フランス映画は観るものではなく感じとるものだと思うから、そういう意味でわたしにはなんだか歯がゆかったかなw
この後にマーベルやインド映画を見るとギャップが凄すぎてアナフィラキシー起こしそうw