ひとりの時間を心地良く過ごす
私はこどもの頃から団体行動が苦手で、いつもその時々のパートナーとふたりでいることが多い子だった。
親友って、言葉の定義としてよく理解できないけど、『それぞれのコミュニティに於いてのパートナー』という言葉のほうがしっくりくる。
これはいまもあまり変わらない。
自分をよく理解してくれる人といるのは心地良いし、それぞれの毎日でなにを気付き、なにを行動したかを話すのは楽しい時間になる。
ダメな面も良い面も理解し、絶対的な信頼をもって守ってくれる人。
全てを包み込み、認めてくれる人。
私の考えや行動に興味を持ってくれる人。
同じように、私も相手の全てを許容し、相手を思う。
そんな関係性をもつパートナーに恵まれてる。
自分と同じように、悩み、苦しみ、自分と理想のギャップに迷い、逃げず向き合ってるパートナーとの会話は、私自身すごく影響されてる。
精神的な自立
そこには『精神的な自立』が不可欠だと思う。
『精神的な自立』は、「自分勝手』とは似ていながらも遠い位置にある。
ヒトコトモノを先入観なしで見る事は難しいながらも、自分の尺だけで見ないようにするためには、たくさんの材料が必要に思う。
もってる目盛りでしか人は測れないから。
その目盛りが同じ人と繋がることができるのは、私が共に過ごしたいと思う境界線だと思う。
共に過ごしたい相手も、それぞれ思考の時間が必要であり、作業の時間も必要だからこそ。
共に過ごす時間は互いに向き合い、離れてる時間は自分や他のヒトモノコトと向き合う。
人といる時に他のことをする時間は惜しいと思わない人は、私と時間の概念が違う。
どちらが正解とかではなく、それでいうならどちらもそれぞれ正解なのだろう。
この、『思考の時間が取れない』、『作業の時間が作れない』、『相手との時間に相手に向き合えない』というのは、私の精神的な余裕=有意義な時間を過ごすことが難しくなってくる。
ひとりの時間をどう過ごすのか。
時折、人に寄り過ぎると自分自身が迷子になってしまうときもあるけど、自分×ナニカとの対話の時間を大切にしてる人は…自分も含めて心地良いと感じる。
そうで在り続けたいからこそ、自分の環境は整える必要がある。
なにから得るか、誰から得るか、学びはそれぞれあるけれど、一度では到底身に付けられないものもある。
だから計画的実行が好きなんだけど、その分自身の感情の動きはよくわからない。
感情の動きを大切にしたいんだけど、自分がどう思ってるかは二の次になりがちなんだよね。
だからこそ必要なのが、パートナーなんだと思う。
それぞれの小さなコミュニティのパートナーが、私とその事情を理解したうえで、適切な意見をしてくれる。
その度に、私は人に支えられ助けられて生きてるなぁってつくづく感じる。
たまに赤ちゃん返りするような謎な行動もするしね。
いつも『まだまだだなぁ」って思う。
伸び代しかないって言葉、ほんと好き。笑
繰り返していれば終わりはないけど、物事は螺旋階段のように時間の経過と共に繰り返していく。
だからまあ焦る事ないんだけどね。
できたら習得して次のステージに早く行きたいよね笑
はぁ〜もうがんばろ〜しかないや〜😵💫