関わる人しか影響させることができない頃
まだカレンが小さい頃、よその子どもを幸せにしてあげることができないなら、せめて自分の子ども達、自分と関わる人だけでも笑っていてほしい。
私と関わってくれたこと、縁を繋いでくれたことに恩返ししたいと思ってたの。
結婚した時もそうで、私と結婚した以上、可愛いひとり息子を私に譲った義母や義祖母のためにも、幸せにしなくちゃって思ってたの。
それはいまでも少なからず行動原理の根底にあるんだけど、こども達が小さかった頃ほど強くない。
やれることはもう全部やったからな。
旦那様は良くも悪くも可愛がられて育ってるので、私がいうのもなんだがとても個性的。
というか、例によってこの人もまた不器用。
考え方や捉え方を話したり、見えていない視点を伝えたり、どう対処すれば、どう生きていけばを話し合う。
だけど、基本どの男も平たく嫁の話はどんなに重要なことも耳に届かない。頭に残らない。(だから男はキライなんだ。。偏見も混じってる自覚つき)
だから、どうしたらいいか考えた結果、最終手段は私以外から学ぶことなんだと考えた。
人から学ぶことの大きさを説明しても理解してもらえなかったから、一緒に入ったのが倫理法人会。
そこで哲学の意味を知り、思考の重大さを知り、人から聞き、本から学ぶ機会をもらえたらいーなと思ったわけ。
あとは、議論な経験や、共通言語をもって議論するものはしたらいいし、私自身も旦那が学んだことから学びをもらうこともある。
人は大人になっても成長は不可欠
だって、こども時代は短い。
権限もない。経験が足りない。
だから、こどもに分類されるし、守られる存在と認められてるというだけ。
大人になっても子供みたいな人はいるし、下手したら子供より思考が幼稚なことだってあるでしょ。
大人は大人である為に学び実践して結果を出すことでしか権威を得られない。
本来、それをおとなというんだ。
でも、教えられていなければ、考える時間を持たせてもらえない子ども時代を送っていたら、そんなこと考えもしないし、気づきもしない。
日本人はなにも考えないよう教育を受けてるから、残念ながらそこに気がつく人ばかりじゃない。
1から順に教えてもらってないわけだから、当たり前のことにも気づかないことだってあって当たり前なんだ。
それを謙虚に受け止めれるかどうかが、人として神様に試されてるといつも思う。これだけは、一度も忘れたことない。とても大事なことなんだ。
いま私の影響は直接関わらなくても届くようになった
学生の頃からネットに関わり、Web業界に携わってきていま思うのは、
気付けばいまは直接関わってない人にも知らずに影響させることができることが当たり前の時代になった。
そして、
私自身もそういう立場になった。
色んな経験を積み、幾つも壁を乗り越えてきた分、責任も重みが増してきた。
まだまだこの先も幾度と壁にぶち当たり、そして超えていく。その度にまた私はグレードアップしていく。
正直こわい。。
そうよ。私だって怖いよ、当たり前に。
人は未知のものを怖がるものなんだから当たり前なこと。
でも、未知なものだけど、
私の想定の中でどうするか、どうなるか粗方決めてる。
臨機応変な対応ができるよう、柔軟性を持たせつつブレない目標を決めてる。目的が明確だからブレない。
それでも、笑っていたいから、笑っていられるよう自制しいつでも全力出して楽しみながらがんばっていきたい。
私が笑ってることが、みんなの笑顔に繋がるから、
みんなの笑顔を見れることで、私は笑うんだから大丈夫よ😊