一番大切なものの正体見つけたかも
これまでの書物や経験、上書きしてきた思考のの中でしか測れない前提だけど、
かなり核心に近い気がする。
好きという感情
これがまず必要だと思ってたけど、それ以前になぜ好きなのかという前提は外したらいけなかった。
フィーリングだろうが、直感だろうが、好きには必ず自覚するしないに関わらず理由がある。
直感を信じる人。エビデンスが必要な人。
いろいろいるけど、なにかしらの要因はある。
なんとなく好きは、理由が自覚できないだけだ。
理由が明確でない場合、理由を探さないとそこが変化してしまう可能性もあるよね。
理由がひとつではないことも多々あるが、それらを含めてその人を形成しているわけだから、それらをお互い理解しておいた方が良いところを変えずに済む。
人としてなにが魅力なのかを知っておくことは、成長する為にも重要。
でも、その理由を自己分析してる人はまあ間違ってる人多いよね。
自己分析なんて誰にでもできると思ってる人ほど、間違った解釈してる。
自己分析できる人なんてほぼいない。
その事実を理解してると、他者から見た自分の存在に気づく。
他者から見た自分は本当の自分ではないと言ってる人もいるけど、他者と関わる時点でそれも人に映る本当の自分というものになる。
それはなんなのかは、人から聞くしかない。
通りすがりの人にはわからないよ。関心もないからね。
よく知ってる、強い関心を持って見てくれる人でなきゃ。
そうやって他者から見た自分が少しずつ明らかになる。
それを好きだと言ってくれる人がいれば、それは幸せなことだと思う。
でも、現実にその人が好きな理由はもっと打算的なところがあることも知っておく必要がある。
なぜなら、好きの感情は作れるから。
どうしても好きになれない人でない限り、好きだと思い込むことはできるんよ。
ほとんどの人はそう。
何も考えてないから。
自分は(あえていうなら)赤が好き。和食が好き。彼が好き。
そう選んで決めてるだけで、案外そうでもなかったりする。
好きなんて感情、その時好きなだけなのよ。
なぜなら、感情は気分と変わらないから。
だから先の話、感情だけに留めず理由が必要ではないのかと思う。
そして、好きじゃなくなった時は期待に応えてくれなくなった時。
一般的に片思いの方が続くのは、期待に応えてくれないことが前提だからかもしれないね。
話を本題に戻そう。
充足感の正体
満ち足りた気持ちになることを、充足感という。
好きなだけでは満たされるという感情は生まれない。
その満たされた日々を幸せと呼ぶ。
幸せになる為には、この充足感が必要だということ。
そしてその充足感は、平穏の中にしかない。
つまり、感情や気分ではなく、実質的に安全な環境であること、求めているものを得ている状態でなければならない。
求めているものがなにか
つまり、求めているものがなにかで、充足感を得られるか、得られないかが決まる。
先の好きという感情だけでは足りない。
その上位にあるのが安全。
母が与えてくれたような生きることに必要な身の安全、そして心の安全。
人は生まれてからずっと安全な場所を求めてる。
ここにいてもいいんだよという自分の居場所。
そして、さらにその上位にあるのが信頼である。
人に期待すべきは、この信頼と安全であるということになる。
センサーが狂うと、この信頼と安全がない居場所を好きと勘違いしてしまう。
人を見る目を狂わせてしまう。
なぜか。
それを無意識に求めているからよ。
人は求めてる人間になれるし、求めているものを引き寄せるように行動する。
センサーが狂ってると、無意識に望んでいると自覚していない事態を求めてしまう。
そういう人がとても多いのはなぜか。
それは食べ物なのか。教育なのか。貧困なのか。政治なのか。
様々な要因が絡まり、ミルフィーユのように重なってるに違いないから、一概には言えない。
でも、一時の感情なんて雲みたいに掴めないけど、確実に在るものなんだろね。
幸せになってはいけない人々
幸せになってはいけない人はいないはずなのに、自ら幸せにならないようにしてる人がとても多い。
それらすべてに愛おしさを感じる。
大人になっても未熟な人間
凡人である私たちが学び活かしていくには、人生短すぎるのよ。
みんな生き急ぎなさい☺️
一日一日、一期一会、大切にしなさいと言われるのはまさにこのこと。
そして、信頼できる人の側にいること。
家族でもいい。友達でもいい。恋人でもいい。
人が幸せを感じることに、躊躇せず、臆せず、こう育ててくれた親に感謝をしようね。
いかん眠たい…限界😪