『思い通り』という欲
おもしろいことに気がついた。
日本という国は、社会は、と思うことはたくさんある。
ジャージで面接に来る人がいたり、カラコン入れてくるやつがいたり、タメ口でくるやつがいたり、義務教育はなにを教えてるのか考えてしまう。
識字率は確かに高いかもしれないけど、日本語をうまく扱えるわけじゃない。
四則演算だってできる人ばかりじゃない。
どうなってんだ?と思えるほど、日本人全体の向上心はちっさい。
大人になったら勉強しないとか、大学入るのは高卒直後とか、理に叶わないことに疑問をもたず、考える力も、話す力もない。
人は私の『思い通り』に応えてくれない
それに気づいたの。
いい大人が、コピペがなにかわからない。わからないものに蓋をするように
「自分アナログなんで」
って、バカですと言ってるようなものと気づかない無知。
関わるのがイヤだと思ってたけど、
それは同じ大人という並びで括った、私の勝手な『期待』。
「それくらいわかるでしょ?」となるのは、思い通りにならない憤りだったんだと、ようやく気がついた。
人は『思い通り』にならない
期待と言う言葉はやっぱりむずかしい。
期待をされた側も、期待された喜び以上に期待に応えられない自分を責めることは多い。
期待で嬉しくなるのは、認めてもらってるという承認欲求が満たされるから。
承認は過去の自分であることを考えれば、未来の自分ではないことは明白なのに、実力もないのにそれ以上を自分に期待してしまうから幻滅する。
期待した方は望んでない状況よね。
過度な期待は人を潰す。
軽い気持ちで言った期待も、その人の実力を遥かに超えた期待は潰してしまう。
この『尺』が、相手をよく知らないと思いもよらぬ結果を招く。
『思い通り』は欲に過ぎない
いうなれば、これが『我儘』というもの。
倫理を学んでても、この我儘の定義を明確に持ってない人がほとんどだから、
辿り着くのに時間がかかったわ。
みんながラーメン食べたいって言ってるのに、寿司が食べたいって駄々をこねる。
これじゃない(笑)
こんな可愛い話ではない😂
それ協調性の問題😅
我儘とは人を思い通りに動かすこと
自分はコントロールできる。
では、人の我儘にはどう向かうのか。
「ハイ。おしゃることはわかりました」と一度受け止めて、そこまではできないがここまでならできる。なぜならば…と相手に伝える。
社会に対しては
自分が動く!世論は時間をかけて変えられる!
答えを焦らない。
着々と、淡々と、自分の域を広げ、影響させていく。浸透させていける立場にまわる為に、動く!
そして、同じ志の仲間を見つけること。
チームは得手不得手のブロックがうまくハマったひとつの形。
育てる以前に、適応人物なのかの見定めは必要。
見定めるのは自分。
すなわち、自分に立ち戻ってくるのだ。
相手は思い通りにならない。
自分を思い通りにしていけば、相手は変わる。
人は鏡。
つまり、そういうこと!
そこに返ってくるというわけだ😊