書評『七つの原理』 第3章「全個皆完の原理」① 丸山敏秋著

2022/10/31

「それが善い」といえば悪いも出る。「ただそうなだけ」と思う。

私が栞を読んでいてそう思ったんだけど、七つの原理には「ただそうなだけ」とちゃんと書いてあった。

栞にも書いてあったかしら。そこが大事なのになんで「善い」とか言っちゃうかな。

ユキエ哲学との相違

私は二面性・二元論に対して「%」で考えてるから、白・黒・グレー1%〜99%まで存在してると思ってる。

そうなると【価値観】に対しても同様に100通り認めないと成り立たない。

むずかしいこというつもりはないんだけど、車のガソリンメーターによく例える。

左と右が極論。間を針が動くイメージでなら伝わりやすいと思う。

物事は相反している原理があるから、左に振り過ぎれば右に対して相違が真逆になる。

位置が端に寄れば寄るほど、強くなるほど、反対側を批判し、否定する。

だから【中庸】が大切だと思うんだ。

そしてその中庸(真ん中)から1%左右にズレるのが、自分の意思・価値観であり、自分を表す個性・考え方だ。

どんな物事も寄ってはいけない。

相手を攻撃することは、どちらも同じ【暴力的】だ。

右翼も左翼も暴力的なように、強い思想から人を殺したり、傷つけたりする。

どちらが正しいもない。ただ、『平和的ではないもの』に分類されることになるんだ。

どれも素晴らしい思想なのに、極端によってしまうことで反対側が悪になってしまうからだ。

二元論という考え方に同意できない点はここに尽きる。

人は極論に寄ってる人の方が少ない。それはこれを理解しているからではなく、信念がないからだけど。

全員が同じ立場・環境・思想ではないことを認めていないと、ただの暴力的な人になるだけだ。

『それが善い』という言葉の暴力

「ただそうなだけ」というのと『それが善い』とは、もう日本語の使い方として間違っている。

震災で小さなこどもを亡くした人に『それが善い』などと言ってはいけない。

ただ「そうである」という事実なだけだ。

それをいつか受け入れる時が自然とくる。強制するものではないし、急ぐ必要もない。慌てる必要もない。

事実だとかそんなん言われる筋合いはない。誰に言われることもなく、強要されることもなく、自分の心のペースで受け入れていってほしい。

そうでしか、自分を落ち着ける方法はない。

その人の課題でしかないのだ。

レイプされた人に『それが善い』なんて言ってはいけない。

人としての尊厳を失くし、暴力の恐怖は生涯拭い去ることはできない。女性にとっては心が殺されたのと同じと感じる人がほとんどだと思う。

ただ、生きていればいつか救ってくれる人が現れる希望を抱くようになるかもしれない。

それはその人の課題であり、人に言われることではないし、強要されることでもない。

過ぎた過去は受け入れれることばかりではない。忘れてしまうことで救われることができるよう、人はプログラムされている。

乗り越えれるものばかりではないし、乗り越える必要があるものばかりではない。

不自然に乗り切ろうとするのではなく、静かに時間薬と共に穏やかに日々を過ごすことで、いまが自然と映るときがくる。

人は人でしか救えない。

だけど、人によって心が殺された場合だれにでも救えるものではない。

時間と、環境と、愛が必要なんだ。

その人が受け入れた時、それでも『それが善い』と替えてはいけない。ただ「そう」であることを受け入れただけなんだから。

いまの自分があるのは「それ」があったからかもしれない。だけど、「それ」はなくてもよかったと思える不幸なこともある。どれが「そう」ではない。その人にとっての「それ」は、その人だけの価値であり、心なんだから。

ちなみに、

固定された価値観に囚われやすい人間には、価値の相対を超える味方がなかなかできません。

七つの原理

その通りであり、そして固定された価値観を提供しているのがこの本です(笑)どの視点から言うてるんですかw

それに関して言うならば、「それが善い」なんです。

自分を信じ、固定された価値観に囚われ、信じ、自分を確率していくのが人です。

それが善いんです。

意味がどうという問題ではなく、『日本語が暴力』という捉え方をすれば、言葉に踊らされ傷つく人もいなくなるのではないでしょうか。

日本語は言霊があり、ひらがなひとつにも意味を宿しています。

良いと善いも区別され、使われます。

善悪としない善は、すでに善ではありません。これらはすべて先に自身が書いていることではありませんか。

意味ではなく言葉で、文字で傷つく人は多くいる。「解説本を用いれば意味がわかるよ」個のエゴです。

くだらないと思うかも知れません。ですが、それは筆者の価値観であり、そしてそれが人であり、それで善いんですよ。

丸山敏雄の時代はそれでよかったのかもしれない。だから、三島由紀夫も立つし、学生運動も始まり、高度成長期へと続きます。

人の生き死だけは取り返しがつかない。

いまの時代はもうちょっと配慮すべき時代なんですかね。

平和でよろしい。

善悪の意味は正義と悪ではないと思う

別物だから別の言葉があるんですよ。と、私は思う。

この章では、引用を見てもそれらが混同されて紹介されてる。

善悪はカントの定義した酷く抽象的なものだと私も思う。

しかし正義と悪は、立場が変われば逆転する言わば不安定な概念だ。

客観的に生と死を語っている場に、主観的な生と死を交えるのはおかしいと感じる人もいるかもしれないが、生と死はそもそも主観的なものだということを省いて考えてはいけないと思う。

デンマークの哲学者キルケゴールの「人間の精神の死、すなわち絶望こそが死である」という視点から考えるなら『それが善い』で受け入れることができるかもしれないね。

大切なものを守るためには自分は死んでもいい。って思う人たくさんいるでしょ。自分はどうとにでもなる。人の死はどうにもならない。残された人がその辛さを味わうだけ。

最大の親孝行は『親を見送る』

母との約束で最も忘れていけないものは

「親の方が年上なんだから、先に死ぬのは必然。大切なのはその順序は守ること。それが一番大切な約束ね」

私はちゃんと約束守ったぞ。

残される方が辛い思いをするなら、親に代わって私がその辛い思いを受けよう。そして、それは自然の摂理に沿った順序。生きてる間にできることはたくさんある。

学生の頃、母にそう言われ、生きてる間に後悔しないようにたくさん親孝行しようと心に決めた。

これは私の作ってる大きなひとつになってる。

後悔しない生き方をどうすればできるのか

口にするのは簡単なものばかりだ。

小学生の時、飼ってたハムスターから死ぬということと後悔しない生き方を学んだことは、私を形成するのに強く影響しているように思う。

ペットがこどもの教育に必要なことはイギリスの諺にもあるのにね。

日本人はバカだなとつくづく思う。

大切な人・ペットの死は「死という概念」を学ばせる。

おじいちゃん・おばあちゃんの最期の役目は人の死と言う概念を孫やひ孫に身を持って教えることだと思ってる。

だから、皆さんじじばばと良好な関係を築きましょうね😅

でもまあ生死に関わること以外は、すべてかすり傷です

自分を律し、制することができるのが人である証明です。

私は、体は人を助けて火傷を負って醜いバディだし、こどもの頃からいまのいままで性被害に遭い続けた故に心のどこかで男性が嫌いだし、大切に育てた可愛いこどもに生死を彷徨わせてしまった辛い経験がたくさんあるけど、恵まれていると感じることも同じくらいたくさんありました。

や。もちろん人は学習するので心は不安定ですけど、守ってくれる人達がいるから、その人達に恩返しするためにも自分をもっと磨かねばなりません。

そうすることでしか、恩を返せないと思う。

毎日を大切にし、人生という1秒1秒を丁寧に扱い、支えてくれるたくさんの人に還元していける人になりたい。

20歳の頃から海外へ脱出計画立ててるけど(笑)

故に、海外でも仕事ができるシステムを作ってるんだけど、いま結構そういう人多いなということ、実行までのスパンがみんな短いな!という衝撃を最近迎えました(笑)

計画が長過ぎて笑えてくるわw

苦難の定義

苦難と頻繁に出てくるんだけど、苦難とはなんでしょう?と考えたことはありますか?

私「運」という定義を持っていないってのは昨日書いたんだけど、苦難に対してもあまり意識したことないの。

私の思う苦難とは三つあります。

  1. 災害などなす術ないもの
  2. 仕事のトラブル
  3. 人間関係のトラブル

①は、備えあれば憂なし。今日地震がきても大丈夫なように、徹底することが大事。来るのがわかりきってる苦難なんて苦難じゃない。感染症も同じ。

⓶は、課題抽出。「問題がここにあるよ。いま直すことで次の大きな問題を防ぐことができるよ」と示してくれてる余震だ。考えが及ばないことはいくら考えてもいくらでも出てくる。軸がきちんとあればすぐ対応できる。

③は人の縁もあるし、自分が接した関係性もある。だけど、自分で制することができることなんだから、いいと思う方向に正せばいい。縁を失ったら、次の縁が生まれる。自分ではどうしようもできないことに直面して、辛い思いをしたら人と時間と環境で、癒されながら、ゆっくり考える時間を作る時なんではないでしょうか。

神は乗り越えられない試練は与えない

ユキエ

私、この考え方好きでね、勇気が湧いてくる。

自閉症のこどもを持つ尊敬する友人が言ってた言葉で「うちの子の個性すごいでしょ✨」とても素敵な自慢だなぁと涙が出た。そこにたどり着くまでたくさん悩んで乗り越えたんだなぁって。

「この子はなにがあっても一生私と一緒にいてくれる」という言葉も忘れない。

本当に素敵で、疎遠になったいまも心から尊敬するママであり、女神の模範です(笑)

どんな苦難も私が乗り越えられるから与えられていると思うと、神様信じてるわけじゃなくても、日本人らしく都合よく神様が現れます(笑)

乗り越えられると信じて与えられた苦難しかないんです😊