お願いばかりのクレクレ乞食
世の中によるいる「クレクレ乞食」ですが、
正直、なんの利点があってお願いできるんだとよく思う。
社会福祉の一環で動いてる人はなんでボランティアなんてできるの?
って聞かれれば、「できる環境にいるから」とか「社会の構図が根本的な問題だから」とか色々あるけど、
(それすらない人は精神的に大人じゃない)
経験があって、疑問もあって、なにかできることがあるとわかれば、小波でも集まれば大波になる。
ただ、個人的に「ちょーだいちょーだい」っていう人とは全然違うんだよ。
あれやって!これやって!って、なんでせにゃならんのか理由がないものはできん。
それは福祉でも一緒。
人の関係は原則Win-Win。貸し借りが存在してるのは当然。
以前お世話になったからといってお返しするのは、人としての礼儀だし、こどもじゃない証拠だと思ってきちんと恩は返すし、心を心で返すのは人の温かみの表れであり、他者の存在理由でとある。
好きな人や好きなアイドル?がお願い!と言ったらやるよね?
それすら無条件ではないでしょ。
好きじゃなかったらそもそもやらないし、なんなら握手会とかで優先チケット欲しかったりする。
それは悪いことではなくて、恩を恩で返すのは当たり前の道徳概念があるから、自分を律するために必要なことだと思う。
自分に厳しいと人にも厳しくなる。
でも、自分に本当に厳しいのかな?
これは自分にも言えるし、ほとんどの人が該当すると思ってるんだけど。
思考には層があるわけだが、浅い層までしか行き着かない人が圧倒的で、その人達はムダに嫌がらせしたり、その先まで考えずバカなことしたりする。
ある程度の層までいくと予防できることもあるけど、常に深い層までいくわけではないから記憶するんだよ。結果のパターンを。
すると、時間がない時も脊髄反射のようにその考えが出てくる。
自分に厳しくというのは語弊があるから、律するという言葉に変えるとしっくりくるかな。
自分を律するには、深く考えるという一段階目は不可欠だと思う。
それができない人が世界に多いのか、日本に多いのか、人種なのか、文化なのか、地域なのか、私の選ぶ環境なのか。。
道徳という言葉を嫌う人々
「順番は守ろうね」を例にすると、その理由は
「どんな人であれ、みんな時間も労力も同じ。自分がされたらイヤな事はしないようにしようね」
と親に教えられてると思うんだけど(親がまともなら)、
この辺りが曖昧だからいかんのかしら🤔
具体的に全部説明しなくても、理解できるやろと思うんだけど、みんながみんなそういう思考回路ではないってことかしら。
恩送りならぬ仇送り
あこが面白い事いうた。
なるほど。
そういう視点があるとは思わなかった。
本人に八つ当たりの自覚はなくても、心が荒むと結果的にそうなってしまうことも考えられる。
にゃるほどぉ〜。
人に聞いてみると気付かなかった視点を教えてもらえて面白い。
さあて。
みんなの時間を搾取はそこそこにして、お仕事しますか!