カテゴライズの呪いと利点
よく思うんだけど、カテゴライズやグループ化をみんな目的をもって取り入れり入れてるんだろうか?
目的もなく、漠然と取り入れているように感じる場面が多々ある。
例1)ADHL
よく例えるのに発達障害があるけど、例えばADHDであると診断されるとなにが起こるか。
グルーピングされたことで、この傾向が多いとか、こういう特性がある傾向が強いとかがわかる。
いうなれば、他者から見たらその人を知るひとつの指標となり、自分から見たらその特性を客観的に受け入れることができるようになるというフラグになる。
例2)男女
男脳だとか女脳だとかも、カテゴライズして目の前の状況を把握することにより安心を得たいという、安全を確保するための生存本能が影響してるように感じる。
よく「女性なのに男脳だね」と言われると、「女性なのに平均的な男性より背が高いね」に似た比較だなと感じる。
これ、脳科学者の中野信子さんも例えてて「だよね〜」って思ったんだけど、ジェンダーはひとつの差であり、それだけで個人の特性が分けられてるわけじゃない。
だから、男脳女脳もあくまでも一面だけを取り出し、平均と比較したものにすぎないのに、この話題は血液型占いと同位と思ってる人が多くない。
ほんとにまあ、なんでやねんw
男女の差はあって然り。肉体的な特性も役割もホルモンも違うんだから、まずはそれ。トランスジェンダーだって生理は来るから心と合致せず苦しいんだ。
その特性が優位に働く作業や思考はあるけど、ジェンダー以外の部分、育ってきた中での人や家庭などの環境だったり、文化だったり、脳の傾向だったり、食べ物だったり、奇形や病気というケースもあるわけだから、ジェンダーだけでは特定できない。
傾向である。
例3)職業や肩書き
これも傾向は出る。
例えば、経営者なんだからここだああだって、私は経営者だけど他の経営者と同様に、型にハマることができないから独立してるのに、なぜまた型にはめて見るかな。
確かに経営者として素敵な偉人は多くいる。
でも、色んな人がいるでしょう?
そして、時代に左右されない本質的なもの、時代に合わせる必要があるものがある。
「経営者なんだからこれくらいは知っていなさい」と言っていただけるのは好きだし、先輩達が気にかけて伝えてくださることはとても嬉しい♡
だけど、経営者になりたかったのではなく、結果的にカテゴライズされて経営者と呼ばれているんですよね。
捻くれてるみたいに聞こえてしまいそうでいやなんだけど、
他者がつけたグループ名が経営者であって、私がなりたいものは経営者という名前ではないというのが伝えたい。
「オマエなんか経営者でもなんでもない」と耳にしたことがあって、じゃあ他のグループ名でもいいんじゃない?内容が伴えば。と思うんだが。
同じように、従業員に「オマエなんかうちの従業員じゃない」というのかしら?じゃあ雇用関係を締結してるナニに該当するのかしら。じゃ、それに変更してあげればいいんじゃないかしら。
てね。
例4)ママ
いつも言うのは「ママなんだからこうであるべき」コレね。
べき論でママを一括りにするな。
その無知で心無い言葉がママを傷つける。
人命がかかってるんだよ。
こどもの命が、一生がかかってるんだ。
こどもの命を守りたいと願うなら、ママを守らないと守れる人がいない。パパを守らないとママごと守れる人はいない。
だれかが代わりになることなんてできないし、あなたはそのこどもの里親になるという行動をしているんですか?
言葉だけでなにもしてない人が、大人が、恥を知らない人が多くいる。
でも、小さくても思いを行動している人もたくさんいることを知ることが必要だよ。
グルーピングの仕方
似たものをまとめるのがグルーピングやカテゴライズ。
グルーピングやカテゴライズに沿った人を入れるのは人格否定。
人間だからなのか、日本人の文化なのかわからないけど、
「順序が大事」というのはここでもピタリとハマる。
客観的なグルーピングを押し付けてはいけないよ?
人にも。自分にも。
自由と自分勝手は違う
豪に入れば郷に従え
ということ。いやなら真剣に向き合い変えていくか、そこは自分の居場所じゃないと立ち去ることもできる。立ち去る選択肢は自分にある。
仁をもって義となす
私は性善説派なので(笑)甘ちゃんかもしれませんが、受けた恩義は感謝を以って返していけ考え方が好きです。
そうでありたいと思ってるので、そうするようにしています。
仁義を裏切られても、自分は曲げることなくそうでありたいと思います。
そのほうが強くてカッコいいと思いますから😊✨