タスクと熟考と母への想い
YouTubeのショートから始まり、なぜかYouTube閲覧が寝落ちするまで止まらなくなる病気になってしまった模様…😭
しかも、まあまあ目が固く深夜になってしまい、翌日寝不足という最悪の事態に…😭
車の中のYouTube(もはやラジオ的利用)は困らないどころかお勉強になってるけど、寝る前とかはもはや特に意味のない動画を見ている始末…
まったくもって、仕事になりません…😭😭😭
そうじゃなくても、毎日人に会ったり、なんらかの準備をしないといけない日々が続いてて神経削ってるのに、タスクが多過ぎて脳のリソース圧迫しまくってるのに〜〜〜
あ。
脳が逃げてたんか〜〜〜😭😭😭😭😭
sit.
こーゆーのはよくある。
またいつものやつだ。
対応策はわかってる。
まずは集中できる状況を作ろう。
それから焦らず全体を並べる。
それから優先順位をつけて、スケジュールに当てはめてく。
そしたらもう決めた時間に決めた事をするだけ。
よし。
あとは淡々とこなすだけでクリアできるぞ。
ただ、いまの課題がなかなかの強敵。
それは、【考える仕事】。これ。
あーでもないこーでもないって色々考えてると、だんだん脳が疲れてくるのか回転率が落ちてく。
すると集中力が切れてくんだなぁ〜〜〜😪
こういう時思うのが、やっぱ手を動かすって必要よねって思う。
こーゆー作業ってほんとPC向いてない。
紙に書くことで集中力上がるし、余計な通知も無いから邪魔されることもない。
ただでさえ脳内多動なのに、しんどいわ。
て、
考えてるうちから
【スタッフのタスクセット抜け対策と強化】
について考えてやんの。
しかも、これも「困ったなぁ〜」ってまたここから枝分かれして考えてしまうわけよ。
なんでかってね、もういやになってんだろねぇ〜
手を変え品を変え同じことを繰り返し言ってる。
どうにか根っこから変えないとこれ終わらんに…😵💫
ひとつひとつに熟考しなきゃならない案件になってる。
むしろもう、熟考する必要もないものまで熟考してる気すらする。
よくないねぇ〜〜〜
実に良くない風向きだ。
そいえば考えるなって言われたな🤔
・・・いや、、え?
ああ、考えなくてもいいことまで考えてるわけだから、それについては合ってるわ🙄
人のことで悩んでた時期もあったこと考えると。いまは自分が直接携わるものだから、自分の課題という意味では最良の課題だな✨
とりあえず逃げても始まらん
まずは会社のことを考えよう。
それから社会のことね。
自分のことは…まあいいや(マヂか笑)
そうじゃなくても人間関係整えてるのか遊んでるんだかわからんし(笑)
…遊んでるんだろうなぁ😂
好きな人と一緒にあーでもないこーでもないって話すのは楽しい♡
知らないとこを知るのも大好き♡
やったことないいったことないとこ行くのも大好き♡
てことはそれは息抜きになってないといかんよな🥰
予定詰め詰めだからちゃんとタイムスケジュール組んでおかないとね😊
みんなこーやって同じようなことに悩んだり苦しんだりしてるんだろうなぁ〜〜〜
みんながみんなじゃないけど、たくさんの人って意味ね。
最近なぜか葬儀屋さんにご縁が…
急に気がついたけど、オンリーワンだった葬儀屋さんのお友達が最近急増しておる🙄
葬儀屋さんといえばウチらに関わることになると終活になるけど(…フジコがお手伝いできたら喜ぶなぁ🤔)
年配の方にウチが出来ることってなんだろう?
ママがご両親を見てほしいってリクエストする案件は多いけど…
あ。
最近の案件で多いのはやっぱり【病院への付き添い】だな🙄
病院って大きな病院ほど待ち時間もかかるし、院内移動も多い。
診察券ひとつにしたってシステムがわかりにくいし、下手したら迷子になる広さ。
行き交う人も多いし、孤独を感じ、不安になるのは当然だと思う。
慣れてきたとしても、やっぱりたまに来るとシステム忘れちゃったりするし、付き添いがいればトイレの場所だって見つけやすい。
その付き添いが女性だと、雰囲気も柔らく母性があるからなのか安心してくれるのもなんだか共感できるよね。
ウチの母は糖尿病から始まり、緑内障や白内障で眼科。血管で循環器科、日常的にも透析もしてたり、もう毎回「今日は何科で受診?」なんて日々だった。
担当医ですらいまは誰?とか、
下手したら今日は誰?なんてのもあった。
総合病院は各科の連携は取れてるけど、付き添いの私ですら覚えるのは難しかったぞ。
それらを全てメモにとって家族に渡したり、本人の記録としても使えるし、
ルート案内もお手の物。
歩き疲れたら車椅子と借りてきちゃう。
ヘルパーさんの手が行き届かないところをカバーするのは家族の役目だけど、忙しくしている家族に頼るのは邪魔してしまう気がして心許ないって感じるのは親の愛だよね。
家族のように、必要な時はいつも側にいれたらいいけどね。
元気なうちは心配かけたくない。手を煩わせたくない。って考える親はたくさんいると思う。
仕事がなければ、子どもが大きければ助けたい。って思ってるパパママもたくさんいると思う。
私たちはそれを仕事としてお伺いさせていただけるから、生活もできるし、時間もある。
甘えとか、楽だとかそういう問題じゃなくて、誰もに平等に歳は重ねるものだから、これまでがんばってきた方達を支えることができるこのサービスをもっと広く利用していただきたい。
介護認定される前が一番しんどいその時と、
ヘルパーさんがカバーできないところを、私たちが支えられたら、パパもママも、お孫さん達も安心していま頑張らなきゃいけないことをがんばれると思います😌
ママにとって、育児も介護も大切な人を守りたいということは同じ。
親になったからこそわかる親の気持ち。
どちらも大切に思ってる人はたくさんいると思う。
いまは平均寿命が伸びてきたとはいえ、子育てと介護が同時に来る人もたくさんいると思います。
介護も雇用も、社会みんなで支え合うためにも、国からの支援に、これからの政治に期待いたします😌
母とのエピソードかぁ🤔
私の母は、両足を切断して一年後に祖母が迎えにきました。
だれが見ても、見た目も中身さえも本当に可愛い自慢のママでした。
自分のことは自分でやりたいとがんばるんだけど、どんどんできないことは増えていきました。
初めは、いつもだるくて体がしんどい日々から始まりました。
見た目もだんだんと浮腫が広がり、病院へ行っても解決しなかったのに、ある日救急搬送され、心臓に水が溜まってることが発覚しました。
どうして病院でわからなかったんだろうといまも思います。
盲腸の時も、病院へ検査にいっても発見されず、腹膜炎で緊急搬送されてから判明しました。この時、透析で1日おきに病院へ行ってるにも拘らずです。
それでも母はいつも明るく前向きで、私の方が元気をもらってました。
壊死が指先から始まった時、母にまた新たな苦難が始まりました。
消毒に行く度に壊死した部分を削られ、痛みは次第に母の心も蝕んでいきます。
片足を切断する時は、私はようやく母を定期的に受けねばならない痛みからひとつ解放してあげれるとさえ思いました。
それは本人である母でさえもう安堵したくらい、辛い日々でした。
そして片足のみ切断することとなった前夜。
私にこれでやっと気持ちが楽になれると話してた母の元に、仕事から父が帰って病室に来ました。
そして、父がベッド脇に座り、大丈夫か?と一声かけると、母はしっかり抱きついてこう言いました。
「足がなくなっても、私のこと嫌いにならない?
さっきまで気丈だった母が、子どものように泣きながら。
「大丈夫!当たり前だ!そんなことできらいになんてなるわけないだろう!」
と、頭を優しくなでなでしていた2人の間に、私も知らない父と母のこれまでの物語を感じ、涙が溢れてきたことを思い出します。
私の大好きな母は、私の大切な人なだけでなく、私の父の大切な人でもあります。
それは、私だけではありません。
子ども達を思うように、子ども達は親を思ってくれています。
日々のニュースは、特別な事例だからこそニュースとして取り上げられるのであって、決して普通なんかではありません。
そして、子を思うのも、親を思うのも、日本人として生まれ育ってきた中では自然なことだと思います。
親孝行をしたくてもできない状況の中、自分を責め、罪悪感に苛まれている方もいらっしゃいます。
複雑に絡んでしまった愛という糸を解くひとつの手段として、私たちがお力になれれば幸いです。
ご両親が、パパママが、そして笑顔をいただく私たち。だれもが心穏やかに、温かい陽だまりのような毎日が過ごせますように。