「私」という主語がない日本語について考えてみて
今日は真子様がご入籍して、真子さんになったそうです😊
心からの祝福と共に、大きな壁を乗り越え、悪意に晒されることのない安らかな日々が迎えられるようになることを心からお祝いいたします😌
さて。
私は普段から「自分の持ってる情報が全てと思うな」「自分の物差しで全てを測るな」と自分に言っております。
右を向けば左は見えない
どちらかの道を言えば、もう一方は行けないということなんですが、
もう少し付け加えるなら
右を向けば残り364°の方角に加え前後上下それぞれの角度を直視しては見えない
ということです。
その心は、ひとつのものを見るときに、その立場で、これまでの経験を以って、八百屋ゲームの如く、正確な情報というのは実は得ることはできないということです。
事象は真実だとしても、事実は人によって取り方は変わるのです。
雪が積もったのは事象。
最高なコンディションの雪が積もったのは事実。
事故が多発する最悪な雪が積もったのも事実。
事象だけでも間違って伝わることは八百屋ゲームでも体験済みだし、情報は発信者の意図も含む事も知ってるはず。
そこからさらに聞き手の立場まで入れば、事実はさらに四散する。
でもそれは良いとか悪いとかじゃないんですよ。
そういうものなんです。
だとしたら。
だとしたら事実ってなにさ?!って怒られそうですね🤔
答えは、それぞれが出した千差万別の解釈ってことになります。
動物愛護の人が嫌いって言われたことがありますが、過去になにかあったんでしょうね🙄
私個人が嫌いと言われたわけではなく、動物愛護の人で括られたということは、なにか理由があるんじゃないかと思います。
でも私が考えることでもないし、「なにか過去にありましたか?」と聞いたけど、回答はピントのずれた答えでした。
で。
それが良いとか悪いとかではないんですよ。
その人は動物愛護の人となにかあった。もしくは、愛護精神を理解する気がない。
という事象に対し、私になにか害があるわけではありません。
その人の正義が私の正義と同一の必要はないからです。
でも、嫌いなものより好きなものに囲まれて生きていく方が楽しいですよ
悪口をいうより、感謝の言葉を。
醜いものより、美しいものを。
汚いものより、綺麗なものを。
真子さんの選んだ道は真子さんののものです。
生まれも選んで皇族ではありません。
天女でもありません。
誹謗中傷をされる所以も本来ありません。
同じことを私たちがされてたならどうでしょう?
穏やかな笑顔でお話しできますか?
芯を強く持たねば心折れてしまう、ならば折れてしまいますか?
それとも、追い詰められたネズミのように強くなりますか?
私は自由に生きたい。
皇族は税金で食べてるんだぞとかいう人!
税金で食べてる人他にたくさんおりますが😅
だったら納税やめますか?海外へ行けば皇族の生活費は免除されますが、それで満足ですか?
あなたが税金を払ってるのは皇族の生活の為ではありません。
日本で生活する為です。
そしてその使い道は、あなたが選んだ政治家に任している。違いますか?
任せれないなら、出馬しますか?どう行動するんですか?
あなたは不平不満を存分に言えて、穏やかな日々ですか?周
りにたくさんの笑顔が集っていますか?
信頼できる人に恵まれていますか?
課題の分離
アドラーのいう「課題の分離」が苦手な人が多いのは、日本人の特徴なんでしょうか🤔
人の事はわからないんだから、自分にとってどうしたら心地良いか考えて過ごした方が、私は楽だと思うし、毎日が楽しいと思うんだけどなぁ🤔
それも人それぞれなのかな?
と、いつも疑問に思うのに、いまだ解決に至りません。。
私が変わってるんかなぁとも思うけど、穏やかな日々のほうがいいって思う人、そんなに少ないかなぁ???