理想値と目標値
最近、百日実践で日記をつけてるんだけど、ブログにパスワードかけて記してるから、タイトルだけは誰にでも見える形で出てくる😅
まあいいけど😅
まあ続くことを応援してくだされば幸いです😅
なんでまた日記をつけてるかというと、
先日、嶌本方面長に倫理指導を受け、
「いまのあなたの頭の中はコップに溢れそうなほどの水がある状態。だから水を捨て、新たな水が入る余地を作らねばなりません」
と言われました。
「まずは、頭の中を書き出し、それを読み返して整理しましょう」
といわれたのですが、マインドマップやウォーターフォールはなんかいまいち乗り気にならないの。
だから、日記でもいいか聞いてみたらOKだったというわけ。
どれくらいヤバみが深いのか
倫理相談は、前回も嶌本さんだったということもあるし、偶然にも1枠空けれたということ、それと会えるのは最期かもというのもあったけど、「いま受ける時かも」という直感が強くあったから。
嶌本さんも、倫理指導の終盤には
「自分の直感を信じるように」
と言われたから、なにかあるのかも🤔
タロットでもよく言われるしね🤔
動物的直感は、どんな状態でも理由が分からなくても必ずある。
言語化するのが難しいことも多いから、説明するより行うが易しってことも往々としてある。
頭の中では理論が成り立ってたりすることもあるけど、それを言語化するのはスピードが追いつかない。
経過はわからなくても、出した結論だけわかればいいこともたくさんある。
経験や知識から出したものは、そのこと自体忘れてても、勘でシグナルに気付くもの。
だから自分の勘は結構信じてる方だけど、なぜそれをあえて言われたんだろう🤔
それこそ、コップの水の話になるのかな。
勘が鈍る時ってどういう時だろう。
余裕がない時かな。
体調が悪い時かな。
なにか憑いてる時かな(笑)
勘が鈍ったと感じることあんまりないからなかぁ。。
鈍ってるから感じないのかしら😂
理想値と目標値
本題。本題。
理想値を語る時に目標値を語っていけないと思うのよ。
そこあまり定義されてるの聞いたことないんだけど、みんなもあるんじゃないかな🤔
理想値は、こうなったらいいなという希望値なのね。
対して、目標値ってのは現実からあんまり離れてはいけない数値だと思うの。
理想値に基準はないけど、目標値には基準があって、そこには幅がある。
でもね、大事なのはその定義を作る前提が「結果」ということなの。
例えば、毎日ゴルフの練習していた人が、ある日1ヶ月後の卓球の試合で優勝できるか。
優勝の確率はほぼないでしょうね。
毎日卓球の練習を10年以上してる人や、子供の頃からずっと卓球一本でそれしか知らないくらいの人には勝てないと思う。
勝てたとしたら、それは数%の奇跡であって、いろんな奇跡が重ならないと為し得ないと思う。
確率は0ではなくても、ほぼ0だよ。
要は、日々の積み重ねが必要で、日々の積み重ねには熱意が必要で、熱意には希望や想いが必要で。
一言に「日々の積み重ね」だけでは乗り切れない。
「才能」だけでもだめ。
「コミニケーション能力」だけでも「戦術」があってもだめ。
「想いだけでも」だめ。
想いや希望を熱意に変える、熱意を行動に変えないとできない。
それには計画がいる。行き当たりばったりでいける人なんて本当はいない。
お肌がいくつになっても綺麗な人ほど
「わたし本当になんにもしてないんです〜✨」
…んなわけあるかいw その役に立たないアピール誰にも必要とされとらんわw
と言いたいから、いまここでいわせていただきました(笑)
この順番に漏れがないか…てので、さっきの言語化の話になる。
ユキエは論理的に考えてるほうだけど、写真やスクショのように切りとったイメージで記憶してるから、頭の構造が絵なの。
…らしいわ(笑)
東大卒に言われて始めて気づいたんだけど(笑)
だから、文章も長く詳細になるし、言語化は苦手。要点を掴むのも苦手。
あぁなるほど〜って、ユキエを知ってる人はわかるよね(笑)
なんなら、日本語も無駄が多くて無くなればいいのにと思ってるし、外国語とかバビルの塔さえ無かったら存在しなかったのにと思ったりするし(笑)
最近ウチの総務部長に
「もう今度からテレパシーで伝えるから受信できるようにしといて」
って言ったら
「じゃ、テレパシーで答えますので受信してください」
という神対応を見たばかりやわ…✨笑笑
いかん、話がズレた(笑)
要はですね
経過があって結果があり、毎日は常に結果なんです。
プランを立て、そこに向かって日々結果を出し続ける事はそんなに難しくないんですよ。
上がる時もあれば下がる時もあると、計算しておくことがミソ。
それが目標値になるわけ。
・・・いま、自分的にはものすごいわかりやすい説明だったんだけどこれ、伝わるんだろかと不安になるわ…🥲
面白い計算
それは、ライフプランでしょ〜。
例として、24才で子供が生まれるとする。
子どもはすごいわかりやすい物差しで、確実に6年後に小学生、12年後に中学生になり、15年後には高校に入る。
あとは、大学に行くと仮定して院に行ったとしても24歳、26歳。難関校を目指したとしたら予備校入れてもだいたいそれくらいとしておこ。
そうなると、50で子どもが自立することになる。
親が20で自分を産んでたら、そろそろ介護も必要になる頃では?
そして大事なのは「その時いくら必要になるのか」
これがファイナンシャルプラン。
ライフプラン、そしてファイナンシャルを煮詰めていくのは、誰にでも必要なことで、しかも計算しやすい。
資金運営に必要な金額はどれくらいとか、自分が人生を謳歌するのに使える金額なんかも出しやすいし、目標値も決めやすい。
会社でいうとしても、自分のライフプランを無視して作ったらいかんというわけだ。
事業計画書がどれだけ立派でも、ライフプラン次第ではそれ通りにいかない場合も出てくるからな。
でもね
どんだけ計算が素晴らしかろうが、だめだめだろうが、目の前の人を大切にすることが、一番大切で、一番近道で、理屈なしにやってみたら結果がついてくるものだよ。
人の為じゃなくて。
自分の為に、自分の大切な人、自分に必要な人、自分に尽くしてくれる人を大切にする。
なんの計画がなくても、これさえやれば、結果はキチンとついてくる。
仕事も。家庭も。普及もね。
迷子になることはあるけど、それが人生。
プラン通りにいかないからこそ、人生は面白い😊
どこまでプランに含められるかが試されておる。
想定しておき、それを事前に準備し、計画が揺るがないようにする強固さ。
時の変化に対応しなくても済むようにするための迅速さ。
想定するほど、対応策を準備するほど、難易度は上がる。
想定する為には経験だけでなく、知識も必要だし、時代を読むことも必要だし、あればいいことはたくさんある。
それでも想定外のことは起きるものだから、人生って面白いね😊✨