書評: 「FACT FULNESS」ハンス・ロスリング著

2020/12/31

毎号定期購読している日経プレジデントの2020年5月29日号で特集され、速攻で購入してから読み始めるまでに…4ヵ月くらいかかった…笑

久々に苦しみを伴う本でした〜😂

海外の本はだいたい苦しみを伴うものなんですが(私はw)、この本は苦しみもあったけど、読み終わった後にはとてもスッキリとした爽快感がありました✨

まず以って、「真実を見る / 事実性」という意味のFact fulnessだけあって、私たちの習ってきた事はすでに古い情報で在ることを実感させるところから始まりました。

社会に問題があり、その問題に取り掛かっているわけですから当然成果が出ており、問題が幾ばくか解決しているはずなのは、言われてみれば当然となります。

ところがところが。

情報のアップデートはいつするのでしょう?🤣

そこなんですよね、ハンス・ロスリングが言いたい事。

情報のアップデートが、きちんとなされていない

それは、日頃私たちも感じていませんか?

私は、随所でよく同じように感じます。

例えば、犬の殺処分数は全国的にはいまだゼロにはなっていません。

ですが、年々大きく減ってきております。

その数値を名古屋市では毎年関連事業者には、きちんと提示し、必須研修を行っているんですよ。
…いや、これってすごいことなんですよ!

名古屋市が、いかに子供や女性、ひいては動物までもきちんと視野に入れていることがわかります。(なぜかちょっと誇らしい✨(笑))

皆さんのお住まいの自治体では、どのくらいの頭数ですか?😊

まさか、殺処分を知らないなんてことは・・・ありませんよね?😅
それはファクトフルネス以前の問題ですので、社会勉強きちんとしましょう(笑)

余談: 動物の扱いは文化的な成長基準

動物の扱いは、弱者への配慮の基準になります。

例えば、戦時中や飢饉など、生きるために誰もが必死な時は、弱き者から見放され、死んでいきます。

食いぶちを減らすために、子供を売ったり、働かせたり、動けなくなった病人や年配者は口減らしといって山へ捨てられにいったり。

国に余裕が生まれ、国民に食べ物が行き渡るようになり、経済が確立してくると、女性の声が大きくなり、発言権が守られるようになりました。

子どもにも人権が与えられました。

実は、アメリカでは動物の権利と同時に、同一人物の政治家が子どもの権利を守る法律を策定したんですよ😃

そのように、日本では、成人男性 > 成人女性 > 子ども > 動物 という権利を守る法律ができました。

それは、生きることに対して余裕があってできることなんです。

日本では、食肉文化が広まったのは明治天皇が食べてからのとても浅い歴史なのは歴史で習った有名な話ですが、

天武天皇が「動物を食べてはならぬ」という勅命を出して以来、日本では食べることがなくなり、山の食べるものに飢えることがあった地方では、猪を牡丹、馬を桜と、隠語を使ってひっそりと食べてきました。

西洋では、聖書のノアの方舟で「動物は食べ物」と言っているので(ザックリ感よ笑)、狼はおばあさんに化ける事はできませんが、王子様を変えるに変身させることはできることから、動物の命と人の命の価値は別次元と考えられていたことがわかります。

産業革命時代のフランスの哲学者デカルトは動物機械論を唱え、動物は精神のないから痛みを感じているわけではなく、悲鳴に取れるあれはドアが軋むのと同様なのだと言っています。
私的には、産業革命で動物に酷い扱いをして市民が心を痛めることを危惧してのそう言ったのかなと、少し社会情勢も含めて考えています…(というより希望😢)

日本では、狸はおばあさんに変身するし、犬を大切にすると殿様に喜んでいただけますし、鶴は恩をきちんと返します。「一寸の虫にも五分の魂」といった仏教からきてるであろう考え方もあって、日本では人と動物が近い存在であった歴史があったということなんですね〜😊

なんとなく誇らしいのは私だけですかねぇ✨😊✨

・・・て、うっかり話題がズレ切った(笑)

人間の本能と思い込みから事実は捻じ曲がる

ちなみに「ヒトはホルモンに支配されている」が、ユキエの考えです(また余談w笑)

人間の本能からくる思考の癖や、危険回避能力等々を分析し、そこからなぜ事実を事実を受け止めないのか、なぜ悲観的に考えるのか、ドラマチックな勘違いをするか。

ハンス・ロスリングの視点は、
「事実を打ち明けてもそれを事実として受け止めない人達の意味がわからん!!!」
という疑問からこの研究に入ったと読み解きます😊

わかりみが深くて笑えちゃいますよね♡

この本を訳した上杉周作氏と関美和氏がまたおもしろい訳をしているので、時々ぷっと笑わせてくれます😊

本当にそう書いてあるのかな?♡

いくつかの事例が記してあるのですが、それはあくまでも一例

具体的な例は、あくまでもわかりやすくするための例であり、
問題の根幹は「事実は日々変化している」ということ。

そして、事実はどんなに否定しても事実なんですよ!

なんて分かりやすい!!!

どんなにねじ曲げても、嬉しいことも、悲しいことも、辛いことも、事実は事実なんです。

余談: 事実と真実の違いは重要

ちなみにまた余談ですが、真実はまた別の受け取り方が・・・(笑)

前にも投稿しているんですが、最近同じような考えをみて嬉しくなったので記します♡

最近、I LOVE 田村由美様の「ミステリという戯れ」という漫画を読んだのですが、真実は人によって見え方が違うのでひとつではないという、またコナンを真っ向から否定する日本語の使い方です(笑)

主人公曰く、
「Aさんが言うに、階段で振り返ったら友達に腕が当たってその友達が滑り落ちた」
「Bさんが言うに、いつも虐めてくるAが、階段から突き落とした」

これは、どちらも真実と受けとれられる。

なぜなら、立場が違うから。

AはBをいつもからかっていて、たまたま振り返り様に腕が当たってしまっただけ。Bはからかわれている事が本心では苦痛と感じていたのに言えずにいた。

でも、事実は間違いなく「Aの肘が当たってBが階段から落ちた」のだ。

これってすごく大事。

同じく、例えば「一度だけやらかしました」ということがあったと。

回数は本当かどうか判断しかねますが、
事実としてわかるのは「一度でもコヤツはやらかした」ということなんですよ!

哲学者の方々もおなじこと言ってるよ

丸山さんも同じようなことを言っているように受けとれます。

丸山敏雄さんはですね、これを栞では「それがよい」で解説しています。ナント。

良い悪いの「よい」ではなくて、それが事実なんだよ。
起きたことは過去のことで、変えられる物ではない。ただ事実として起きたこと。それをどうするかをその後の考え方や行いで、善にも悪にもなる。だから悪いことが起きたとしても、その後良い方向へ迎うきっかけとなれば、なにかを変える経験として、そこからのリスタートとなればいいんだよ。

だから、

「それがよい」

ということなんですね〜😊

他にも、オーストリアの心理学者アドラーさんも言ってますし、多くの心理学者、哲学者たちが唱えてる結構普通にちょっと考えればわかることということです😃

ユキエ語録より(笑)

もうひとつ、ユキエ的な考え方も記しておこうと思います。

ほぼ同じで言い方が違うだけなんだけど、

「いまの私を作ったのは、これまでの自分だからすでに、結果はもう出てるんだ」

大切にしてくれている人がいるなら、支えてくれる人がひとりでもいるなら、共に笑いあい、時間を共有してくれる人がいるなら、遠くても心配してくれる人がいるなら、

それは、あなたにその価値があるから。

あなたを大切にしている人達の思いを踏みにじらないで、自分を大切にして恩を返しなさい。

心に報いなさい。

辛い思いをした人は、辛い思いをする人の気持ちに寄り添える、とても尊いものなんだから。

そう思います😊

まとめ

てなわけで、これを読んだ後の感想をひと言で表すなら…

当たり前を当たり前と理解できる人は尊いぞ。

よって、読んだ方が良い!

以上! ぜひご参考あれ✨