自己肯定感の低さと危険察知能力のリンクについてと信じるという事
自身の自己肯定感は低いと意識したことはないが、よく言われる。
それについての考察は何度もしたことがあるが、要は
「自分はそんなに賢くもなければ正しいわけでもない。特別美人でもないし、何かに特化して秀でているとも思えない。ただ正しいと思える事を愚直にするし、美しい、かっこいいと思える生き方をするだけ」
その考え方が自己肯定感の低さに結びつけるんだと思う。
時に、自分よりできない人をなんで?と不思議に思うし、下手すると努力不足をばかにしたりもする。その人の人生だけでなく、社会に蔓延する悪の一端だと思うこともある。
だけど、それでも大切なことは「自分をいつも疑っている」というところにあると思う。
私の脳内はこう。
直感と視覚的イメージや脳内イメージで、始まりと終わりを見る感覚で常に判断している。
0か100ではない。1〜99のどの位置にゲージを置いているかが重要なのだ。
直感ってね。
とても論理的にも落とし込める瞬時に判断するとても合理的なものなんだよ。
1〜100まである判断材料を、順序立てて考えることはできるけど、それを説明することはできない。専門用語がどうとか、どうでもいいことが含まれるから。
例えば、ドアをいつも右手で開けるのに今回は左手で開けた。
これを説明するのにどれだけ必要だと思う?
これひとつでね、ものすごいたくさんの情報と経緯が必要になる。それだけ脳はフル活動しているんだよ。
だって、いつも右手なのに左手で開けるんだよ?考えられるケースはひとつの理由だけじゃないでしょ。でも、瞬時にこれを判断する。なぜ開けたのか。
「開ける必要があったから」
たぶんこれでしょうね。しかもこれは98%の正解率であって、100%ではない。
まだ可能性はあるから。
その可能性をどれだけ出しても結果はひとつ。
「左手で開けた」
これだけは間違いない事実なんだ。
・・・哲学の話じゃないよ?(笑)
要は、どんな理由があっても事実は変わらないということ。
これが自分の目で見たわけでなければ、また少し膨らむ。
伝えてくれた人がどのような意図でそれを伝えたのか。
それは真実なのか。
その人がそう見えただけかもしれない。
実は右手で開けたのに左手と伝えてきたことに狙いがあるのかもしれない。
「信じる事が必要」というポイントは、ここじゃないんだ。
常に疑うというと印象が悪い。常に決めつけないことが大切なんだ。
ファクスフルネス
真実はドラマティックか?
別にそうだとは思わない。計画を練り、その通りに遂行できればドラマティックでもなんでもないし、順調 ということ。
物事は単純か?
物事は単純だと思う。単純ということは、物事の抽象度を上げて俯瞰しているからこそ単純になる。例えば、私という人間を説明するとしたら「女性である」それくらい単純なまでに抽象化すれば確実に単純。
「私はトランスジェンダーだからうんぬん」という話はすでに同じ土俵の話ではないのに、それをさも同じ土俵だと勘違いするだけのことだ。
それはその人が「私が言いたいこと」であって、性別の話ではないのよ。
(ちなみに私はその辺あまり偏見はないの。すでにマジョリティだと思うし、確率している個性はそこに存在するからね。なんでもない事実。)
真実を見るということは、規模が大きくなるほど、手から遠く離れるほど、見た気になるにすぎない。
データに基づく・・・って、誰が出してるデータなのか。どのターゲット層から取っているデータなのか。それをどこが取り纏めて、そこはどんな関係性をどこにもっているのか。影響が行く先はどこで、どこでどう都合の良いところ悪いところが出てくるのか。真実は見えない部分でねじ曲げられるから信じることはできない。
だから0か100で判断はできない。
だけど、間違いないと思うのは、傾向は案外外れないということ。
例えば、昨日爆発的に話題になったことが、今日誰も話題にしないということはなにか別の強烈な話題がない限りあり得ない。
ほとんどのものは自然と風化されていったり、グラフも徐々に下がっていく。
爆発的に上がったものは、爆発的に下がるし、染み込むように広がったものは、グラフも下がりにくい。
こういう傾向みたいなものは、自然に任せていると徐々に変化する。
力だけではなんともできないものがほとんどということも、頭に入れておいたり、いろんな要素があるほどグラフは読みやすい。
私は名詞を覚えるのがとにかく苦手。
昔東大の友達に言われた「イメージで記憶ている」って言われたのは、その通りとつくづく思う。
でも、つくづく思ってもやっぱり100は信じてない(笑)
信じる事
信じる事が大切だというのはね、こういうことを指してるんじゃない。人の良心を信じることが大切だということなんだと思う。
マザーテレサのように、人の良心に声が届きやすい人もいる。
ガンジーのように、人の良心がとても遠くにあってもくじけることなく届けきる人もいる。
自分を常に疑っていると、信じる事がとても難しくなる。
でも、それを知っていれば信じるということに向かい合い、挑戦し続けていくことができる。
信じる事は美しいことでもなんともないと思う。
ただ、信じるだけなんだ。