ベンサム:功利主義「最大多数の最大幸福」
今日はみんなして思いやりからくるとても辛そうな一日でした。
なんだかなぁ〜。。
なんていうか、少しずつお互いを思いやれば、良い関係になれるのになぁ。。
『笑顔の連鎖』ってね、誰かが折れない軸をギュッともってないといけないとかじゃないの。
どちらかが折れそうになったら支えて、反対に折れそうになったときに支えてあげる。
どちらも折れそうになったらお互いを守り合うの。
離れた笑顔を守る
相手を思い通りにするのは、むずかしい。
でも、相手のさらに相手となるとすごくむずかしい。
いまここ↑で少し考えてる😞うーーーん
あっちとこっちと双方から聞く話が違う時は、まず傾聴。観察。それから脳内整理。
でも、片側が会えず文面だけで感じとるとなると、、、。
うん。
やっぱり離そう。
現状維持が限界なら打破するしかない。
打破した先は現状ではない。
良くならなかったとしても、現状は打破されてる。
それは究極の選択。
二つの事の混同
例えば、
大金持ちと結婚したかったのに小金持ちでしたと。
大金持ちと知り合って、結婚するために離婚したけど、いざ離婚したら結婚できず、結果生涯独身でした。
この場合、離婚したのは間違いだったかという疑問になる。
それは、間違いではないとせねばならない。
小金持ちに納得できなかったことにより離婚したわけだから、そこで一旦納得しなくてはならない。
大金持ちと結婚するために離婚したなら、そのチョイスは間違いではないから。
結果的に酷い目にあったと思うなら、欲を出してはいけないのかといえば、それは論点が違うのだ。
混同してはいけない。
離婚と結婚は別の事。だから、混ぜてはいけないのだ。
それと同じように、現状が限界なら離すべき。
それより酷い目にあうリスクは必ずある。それがいやだろうとなんだろうと、現状を打破するためには離すのが正解となる。
その結果が端から見たら予測できるとしても、それはアドラー風に言えば本人の課題。
笑顔の連鎖を止める人はいる。たくさん。
そんな人も笑顔にできたら一番いいなと思うけど、簡単ではない。それができる人はそうそういない。
『家政婦の三田』は、フィクション。ドラマなのだからこそなのだ。
いつの日か
あ〜。。
みんなそれぞれのドラマがあり、それぞれに悩み、苦しみ、時に笑い、励まし合って生きてる。
どんな人も、だ。
見えなくても、感じることができなくても。
みんな不器用で、辛いときほど視野が狭くなり、自ら辛い道を進んでいく。まっすぐに。
もっとそっと寄り添いたいな。。
傲慢な考えだ。
力量不足。だった。←やってみた事あるw
だけど、辛くなる必要がないのにその道を突き進む人が多すぎる。
なにができるだろう?
欲しいものを手に入れても笑顔は続かないもの。
だとして、なにができるだろう。。
わからないうちは、目の前にあることをがむしゃらにやっていく。
私が50才、60才と歳を重ねていく間に、答えは見つかる。
歳を重ねるってね、ほんとスゴいことなんだぞ(笑)
人の気持ちが、思いが、まっすぐに伝わる日が来るといいなぁ…(ドラえもん…
余談
そうそう。
我ながら綺麗なこと言ってるな〜とは思うけど、全然きれい事とかと違いますから。
これ文章でうまく伝わるかなぁ?
めちゃくちゃリアリティある事だから。
真剣に誰もが笑顔になるべきと思ってるし、なって当然と思ってる。なれると思ってる。
精神論でも幸福論でもなんでもない。
ベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」に近いけど、ちょっと違う。
幸せの定義はそれぞれだけど、笑顔の定義はみんな同じだから。