書評 嫌われる勇気
どう考えるか、モノの見方のひとつを示す本です。
幼い頃から他者の課題との分離やそれを軸に深く考察するタイプだった為、アドラーを知り、同じ思考に驚きました。
ただ、それを人に勧めるかといわれれば特に勧めることはありません。
それが『他者の課題との分離』です。
『他者の課題』との切り分けは、いまでも新たなケース毎に悩みます。リアルな問題に当てはめた時、疑問点が多いかと思います。それは他者と自分の課題がとても絶妙な立ち位置にあるからです。
この本ではそこまで言及していませんが、続編『幸せになる勇気』でもう少し具体的な例と共に説かれています。
大切なことは、『自分』という軸です。
そして、他者の課題の理解し難いポイントは、『他者への援助は自分の課題』という部分ではないでしょうか。介入との違いが伝わりにくいと思いますが、そこを説明するのは本では難しいのでは?と思ってしまいます。
青年のあの大人として失礼な対応に応える哲人は、なんともスゴいです。私なら3分で「どうぞ気をつけてお帰りください」です(笑)
理解しようと努めない人にはなにも話しません。理解される必要がないからです。
まして論破しようとする人は相手にしません。理解するしないは他者の課題であって、私の課題ではないと思っています。
みんなが理解してくれるなんておこがましいし、自分が正しいとも思えません。あくまで私個人の考え方に留まります。
青年を相手にする哲人がスゴいなと思うのは、私はまだまだ成長途中で、右往左往しながらがむしゃらに走り続けてる途中なんだと思います。
充実した穏やかで心踊る日々を送るためには、自分が動くことでしか変わらない。自分が自分の納得がいく行動ができるよう努め続けるだけの事です。
自分で自分を評価するだけであり、他者の評価なんて多くの一部です。例えば、他者がぽっちゃりしてても可愛いよと評価しても自分がなりたい像と違えばそこに辿り着きたいとかね。
また、他者は時と共に変わりゆくけど自分との付き合いは生涯続きます。自分本位の全てが悪ではないんですよ。すべてがというところが絶妙なポイントです。他者の意見は参考にするべきですが、多くの一部。重く受けてはいけない。従ったのならそれは自分が責任を持って行ったことです。
私は、笑ってる人の中に自分がいるのが幸せと感じるので、私ができる範囲で行動する。これは自分の課題になります。
物事の本質を見極めるのは奥が深いけど、それ自体は一周まわって単純なものであり、だからこそどんなに壮大なものも同じパターンが当てはまると思います。
この本で、少しでもそれを感じることができるのではないかと思います。
ちなみに、課題の分離とは哀しくないのかと青年は言います。
それは『尊重と尊敬、それと信頼』があれば心配いりません。
家族であれば、見守り信じるということ。よく考えてみてと諭す事が親の務めではないでしょうか。
ここでも絶妙なバランスだと思います。
ちなみに、しまじろうのお母さんは本当にいいお母さんですよ。ご参考ください(笑)
私は学者ではないし、決して賢者ではありませんが、自分自身と自分を取り巻く環境を全力でより良い方向になるよう考えてしまう性分から、自分なりの筋の通った理念やルールを考えてきました。
アドラーの思想と出会いましたが、偉人である以前に、ひとりの考えてしまう人だったのねと受け止めています。
同じ時代の友達なら「わかる~!」なんて笑ってたでしょうね(笑)
本を読んで感じたのは「私の説明書に便利だわ」という狭く利己的な考えです。人に自分を説明するのは苦手なので誤解も多くあります。不便だし時に屈辱的に感じることもありますが、そこは自分の課題なので他者には関係ありません。
こうしていま書いてる事は本心なのかすら自分に疑問があります。
自分の気持ちというのは理性から離れた場所にあり、悩むだけ時間が惜しい。
人に自分の考えを伝えるのがおこがましいと思うのは、そこを目標にしていないから。
アドラーの考えが本当の意味で理解できる人は多くないと思いますし、一言で表す事はできません。