我欲と向上心の違いとはなにか
言葉の定義は人それぞれになりがちだからこそ、広辞苑を使うのよ
これ誰もが気づいてると思うけど(気づいててほしいけど)、例えるなら『友達』の定義は人それぞれあるがそれは日本語という共通のコミュニケーション言語ではなく、その人固有の言葉なのよ。
本来、言葉はそれぞれ意味を持ち、共通の言語だからこそ会話が成り立つのに、その人の定義で話されたらコミュニケーションを目的とした言語として成り立たない。
友達とはどういう意味なのか、誰に教えてもらいました?
広辞苑は日本語の定義を決めている辞書。学生の時になぜ先生は何度も説明しなかったんだろう。日本人はまずは辞書の重要さを再認識したほうがいい。
もちろん、私もいつまでたっても学びきったと思えることはないです。謙虚なわけではなく、いくつになっても発見が見つかる。これは、今後も続いていくことを示唆しているということ、そして学びは生涯続けても足りないということ。
日本語は世界的に見ても少し毛色が違うそうです。語彙が多すぎやねん
歴史が深いとは言われるけど、現代語になったのはそんなに昔じゃないし、100年前の書物なんて字が読めないのだ。北原白秋の「手紙」読んでみたことある?冒頭の一節から本気で漢字が読めないのだ。
まあそんな面白おかしい日本語だから、学者先生は楽しいだろねぇ✨
日本は浪漫に満ち溢れていると、私も思う(でもあくまでも日本語はコミュニケーションツールとしては不適合だw
ここからが本題(笑)
知識欲なんて欲は本来なくて、それは好奇心って言うんだと思う。
もっと便利に、もっと効率的に、自分の知識のグレードアップは、直接生活や考え方へ直結し、なにが失くても枯れないものだよね。ほかっとくと忘れてしまうけど、頭の中にあるものは組み合わせることができる。それは外部脳にはできない。
その「もっともっと」というのは、快楽ホルモンドーパミンの麻薬的な作用なんだけど。
確かに、それが度を超えたり、対象が変わると良くないものに繋がったりする。
倫理観のない研究や、やってはいけないとわかっているものとかね。
それは向上心と呼ぶのかという話。
こうやって、どちらかひとつを自分の中で定義を確認すると、もうひとつも確立する。
知識欲の正体は好奇心であり、欲が出て度を過ぎると倫理観が外れ知識欲となるってとこかな。欲が悪いのかって話だけど、欲は視界を狭める。いい意味では使わない言葉だから覚えとこうね。
てことは、向上心は好奇心あってのものであり、倫理観を保ちつつ、今以上を求める心ってとこかな。
つい悪い言葉をつかってしまいたくなるものだけど(みんなどいつもこいつもわたしも厨二病だから)、間違った伝わり方をしたくなかったら、丁寧に言葉を選びましょー!
という話でした